【ブンゲイ実況】BFC2本戦Gグループ【20201205】
こんばんは。
ハギワラです。2020年12月5日に行ったブンゲイ実況のまとめを、
ここに残したいと思います。
今回もとても濃い内容でした。岸波さんの短歌は基本的にコミカルにとらえたのですが、本当にそれで捉えていいのか分からない部分もありそのぼやかされ方が面白かったです。冬乃さんは、キャスにも参加してくれて、とても解像度の高い読みをすることができました。お二人とも有難うございました。
ブンゲイ実況リンク
①
茶畑と絵画実況開始(00:06:24~)
茶畑論(00:15:00~)
妻寝言とフライドポテトよこすんだのキャラが被って楽しい(01:12:40~)
②
校長と教頭が武闘派過ぎねえか(00:05:12~)
「絵を描く」で急に自我を出されるのがいやだった(00:25:25~)
③
ギョンギョンはオートマトンの首からばねが飛び出ている音?(00:05:20~)
「ある書物が死ぬときに語ること」実況開始(00:11:22~)
作品終盤、若い女が出てきたのは失恋させるため?(00:51:50~)
とらねこ参戦(00:57:40~)
いんすら再び(01:01:23~)
きさめ参戦(01:01:07~)
④
大江さんのジャッジ評について(00:00:50~)
大江さんとくじさんの間では、死生観にズレがあるのでは(00:13:40~)
竜胆さんジャッジ評(00:22:25~)
作品感想、実況内容
「茶畑と絵画」岸波龍
①柔道部はかかしか? いや、もしかしたら茶畑側の目線なのかもしれない。コミカルにも読めるし、やばい柔道部本当に待ち構えている恐怖の光景とも読める。
②マダラエイはたぶん、そういうメタファーで、舞台は水族館とか? 一瞬を切り取った誰かの目線。あるいは少年(と仮定して)がよくやるチンポジ直しか。
③二人の男女がいるとして、何でもいいから会話してほしいという気持ちを感じる。インド、パラグアイ、カナダ、という要素を大きくとるか小さくとるか意見が分かれる。
④ラブ。ラブの話。575で区切れるけども、「プルースト長すぎて無理」でいったん区切ることもできる。するとプルーストへの向き合い方が変わる。
⑤二人の仲の良さが垣間見得る。妻の寝言を真剣にとらえて、グミを買ってくるという。「何でグミ買ってきたの?」「さっき寝言で言ってたからね」「やだもー」といういちゃいちゃを楽しむと幸せになれる。ただ「妻寝言」は「妻の寝言」で省略しているので厳しい人はここで減点するかもしれない。
⑥岩盤浴(がんばんよく)が二回続く。n音がたくさん入ることによって跳ねる印象が際立ち愉しい。また前半と後半の間に一時開けてある(スペース)ことに、時間の経過を見出すことができる。
⑦「よこすんだ」がおもしろい。だれがだれにフライドポテトよこしているのか、ぼかされている気がして。あと読んでいく内に「妻寝言」の妻とキャラクターが同じなのかもしれないな、となった。
⑧「上履きにヨーグルト」が嫌すぎる…。画鋲じゃないんだ…。またヨーグルト=乳製品で、そういうものを軽く扱う「女が母になる」という意味の補強にもなっている。これも「あんな女」で時間が経過しているように感じる。
⑨「うち底ぬけました」がキモ。自分の感性の底が抜けた、とも家の底が抜けたとも読める。まさしくマジックリアリズムとして。
⑩わかるー。こういう奇術師いるー。こっちは奇術に来ているのに、なんかこっちがもてなしている感じ。
⑪いったい何をしたら、教頭と校長がこんなに武闘派になるのか。また今までは文の切れに空白を挿入していたが、今回は「、」読点が使われているのが面白い。校長教頭の物理的なパワーを感じる。
⑫電話越しの「越し」がよい。「電話」だと音声的だが「越し」が入ることで向こう側の存在、肉体を連想させる。あと「死にたい」を重くとるか軽くとるか、も分かれるところ。(死にたいが口癖なのかも)前の句との関連もあるか。
⑬これだけ妙に完成度が低く感じる。意図があるように思う。「絵に描く」が作者の宣言、つまり「俺は短歌を詠む」という風に読み替えが可能なのではないか。ただ、そう読み替えたとしても作者の自我がここで出てきてしまうのは冷めてしまう。そしてもし「絵に描く」が宣言なのだとしたら、もう一歩踏み込んで欲しかった。どんな絵を描くのか、など。
⑭いきなり今までの流れをぶった切った単語が出てきた。これは前の句の宣言を受けての「証明」ということだろうか。
「冬乃くじ」
一つの理想郷。ぜひここに行きたいし、仲間に入りたい。ワアワア言いながらもお互いをリスペクトして、そういうところで死ねたら幸せ。
しかし、さらに良いのはその理想郷が「終わること」だと思う。六枚の中できちんとそこを外したのは、丁寧だし見事。小手先の部分が無い。
この図書館、ブンゲイ老人ホームが(あえて言うなら)サードプレイスとして優しく機能しているのが見て取れる。
作中ラストの若い女が訪れるシーンは、いきなり登場して誰だか分からなかったが、おそらく「死の天使」だろう。この女は死のメタファーとしてとらえるのが自然かも。パンは聖体だし。
以上です。ありがとうございました。